東京高等裁判所 昭和61年(行ケ)67号 判決
一 本件に関する特許庁における手続きの経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
二 取消事由に対する判断
1(一) 前示本願発明の要旨並びに成立に争いのない甲第二号証の一ないし三(本願発明の願書並びに添付の明細書及び図面)、四(昭和五五年八月二日付手続補正書)及び第三号証の三(昭和五八年二月一七日付手続補正書)によると、本願発明は、牽伸装置によつて牽伸される篠を第一の空気仮撚ノズルに続いて、第一の空気仮撚ノズルに対して逆方向の旋回空気流を発生する第二の空気仮撚ノズルに通すことにより糸を生成する空気紡績装置に関する発明であつて、従来のこうした空気紡績装置にあつては、第一の空気仮撚ノズルと第二の空気仮撚ノズルの糸道方向は一致し、かつ、該糸道方向は、牽伸装置の給篠方向を含み、牽伸装置のローラ軸に平行な面内にあつたが、本願発明の発明者は、このような空気紡績装置においてより良好な紡績状態を得ることを目的ないし課題として、牽引装置のローラ軸に平行な面内にあつた篠の糸道方向を、同軸に直角な面内において、給篠方向に対して駆動ローラ側に傾けることに着眼し、種々実験の結果、その角度を〇度ないし一〇度の範囲内において傾けると、フロントローラから給送される篠の毛羽立ち性を良好にすることができ、毛羽立繊維がより多く長くなり、第二の空気仮撚ノズルを通過した糸に右の毛羽立繊維が強く撚り込まれ、切回数の少ない、より糸強力の高い、糸強力変動率の小さい、しかもよりリング糸に近い外観、性質を有する紡績糸を製造することができるが、一〇度以上傾けると、篠が駆動ローラに巻回する角度が大きくなり、撚り込まれない繊維が多くなり過ぎて、糸切れが増大し、糸強力も低下し、糸強力変動率も増大して実質的に紡糸不可の状態となることが判明したことから、本願発明の要旨のとおりの構成を採用したもので、右構成を採用することにより、所期の作用効果を奏し得たものと認められる。なお、本願発明の要旨にいう「〇度乃至一〇度の範囲内」とは、右認定の事実に照らしてみれば、〇度及び一〇度並びに〇度及び一〇度に近い角度であつて実質上右認定の作用効果を得ることができない角度を含まない趣旨であると解するのが相当である。
(二) ところで、空気仮撚ノズルはその噴出空気流によつて右ノズル中に渦流を発生させ、それによつて篠を回転(旋回、原告のいうバルーニング、以下「バルーニング」という。)させて篠に仮撚りを与える装置であるところ(このことは、成立に争いのない甲第四号証の二及び三(周知例(一)及び(二))の各図面の記載からも認められるところである。)、本願発明においては、空気仮撚ノズルの糸道方向がフロントローラとの間において屈折されていないことから、右バルーニングによつて生じた振動が妨害されることなくフロントローラ方向の篠に向けて伝わつて、篠に振動を与えることは容易に推測し得ることであつて、そうであるとすれば、本願発明における毛羽の発生は、主として、牽伸装置の給篠方向に対してフロントローラから給送される篠の糸道方向を〇度ないし一〇度の範囲内において傾け、一定角度フロントローラの駆動ローラ周面に巻回させるという構成と、右篠をそのまま各糸道方向の一致した二本の空気仮撚ノズル内を通過させるようにした構成とが相まつて生じるものと認めるのが相当である。なお、この点に関して、原告は、第一の空気仮撚ノズルの噴出空気流の噴出位置において篠に発生したバルーニングは、篠の撚込み点にも及び、該撚込み点がバルーニングのために上下左右に振られ、また、フロントローラの篠ニツプ線両端と撚込み点とを結ぶ三角形状の部分も前記バルーニングのためにあおられて駆動ローラと振動的接離が生じ、このため篠の三角形状の部分を構成する繊維の毛羽立ちが多く発生する旨主張し、被告は、本願発明の明細書中には、空気仮撚ノズルのバルーニングがどこまで形成されていて、どのように毛羽の発生を促しているかなど記載されていないのであるから、原告の右主張は、本願発明の明細書の記載から掛け離れた主張であるといわざるを得ない旨主張するところ、確かに、本願発明の明細書には原告主張のような毛羽発生のメカニズムについて直接触れた記載は認められないものの、前認定説示のとおり、空気仮撚ノズル中において、その噴出空気流によつて生じた篠の回転は、妨害されることなくフロントローラ方向の篠に向けて伝わつて、篠に振動を与えることが認められるのであるから、少なくとも前記認定の程度のことは本願発明の明細書の記載からも認められるのであつて、原告の前記毛羽発生のメカニズムについての主張はともかくとして、被告の右主張は、妥当なものとはいえない。
2 他方、引用例に本件審決認定のとおりの空気紡績方法が記載されていることは原告の認めるところであり、成立に争いのない甲第四号証の一(引用例)によれば、引用例の実施例に関する図面である第7図及び第9図に本件審決認定の前示引用例記載の空気紡績方法が図示され、その第四頁の下欄に本件審決認定の前示記載、正確には、「良好な加撚は、供給ロールの対2から出て来る小スライバーFが偏向されることに依り与えられる。此の目的の為に加撚ノズル5は傾斜されるか又は供給シリンダーの対2と取り出しロールの対3との間の連結線に対してずらして配設されている(第9図参照)か又は口部57の上側に偏向機構58を備えており(第7図参照)、同機構に依つて小スライバーFは供給シリンダー対2と加撚ノズル5との間の連結線から偏向される。」(同号証第四頁左下欄第一七行ないし同頁右下欄第五頁)との記載が存することが認められるほか、「加撚」に関して、「供給された材料M(フライヤー組系、ドラフトスライバー)はドラフト装置の中で小スライバーに延伸され、……加撚ノズルを通つて案内される。此の際加撚ノズル5の中の渦流に依つて、糸片が加撚ノズル5と供給ロール2との間で加撚される。加撚ノズル5を出た後糸は加撚を完全に解除する傾向を有する。しかしながら此のことは、加撚ノズル5の中で繊維端、縁繊維及び部分的に生じる又は自由な繊維が巻付いており従つて糸の少なくともある処定の領域に於いて加撚が固定されることに依り回避される。」(同号証第四頁右上欄第五行ないし第一七行)との記載があることが認められるのであつて、これらの記載を総合すると、引用例記載の空気紡績方法において「加撚」とは、単に小スライバーに仮撚りを加えることではなく、加撚ノズルの中の空気渦流によつて加撚ノズルと供給ロール対との間で加撚された小スライバーが、加撚ノズルの中で繊維端などによつて巻付けられ、撚りが固定されるという、そうした撚りを加えることを意味し、本願発明でいう仮撚りと基本的に相違するところはないものと解せられる。そして、「良好な加撚」、すなわち、良好な仮撚りは、加撚ノズルを傾斜するか、供給ロールと取り出しロールとの間の連結線に対してずらして配設するか又は加撚ノズルに偏向機構を設けることによつて小スライバーを供給ロールと加撚ノズルとの間の連結線から偏向するという構成をとることにより得られるものであるところ、加撚ノズル内で発生した小スライバーのバルーニングによる振動は、小スライバーが加撚ノズルの口部や偏向機構と接することから、その位置で妨害され、それ以上供給ロール側に伝わることはないものと推認されるから、少なくとも、右振動が「良好な加撚」を得るために積極的に寄与しているものとは認められない。
3 そこで、本願発明と引用例記載の方法とを対比するに、本願発明の「フロントローラ」、「空気仮撚ノズル」が、それぞれ引用例記載の「供給ロール」、「加撚ノズル」に相当すること、本願発明と引用例記載の方法との間に本件審決認定のとおりの一致点及び相違点(1)、(2)が存すること、及び空気紡績方法において、フロントローラから給送される篠が導入される二本の空気仮撚ノズルの各糸道方向を一致させることが本願発明の特許出願前周知であることは当事者間に争いがなく、本願発明の「篠」と引用例記載の「小スライバー」は同義であることも原告において明らかに争わないところである(そこで、以下、引用例記載の「供給ロール」、「加撚ノズル」、「小スライバー」を、それぞれ「フロントローラ」、「空気仮撚ノズル」、「篠」という。)。そして、前認定の1及び2の事実によれば、本願発明と引用例記載の方法との間には、相違点(1)、(2)のほか、相違点(1)に関して、本願発明においては、フロントローラの駆動ローラ周面に巻回した篠を、その糸道方向を屈折させることなく空気仮撚ノズル内に導入しているのに対し、引用例記載の方法においては、フロントローラ対の一方のローラ周面に巻回した篠を、その糸道方向を屈折させて空気仮撚ノズル内に導入しているという相違点、すなわち、フロントローラの周面を巻回させた篠の空気仮撚ノズルへの導入の仕方についての相違点も存するものと認められる。
4 ところで、本件審決は、相違点(1)について、請求の原因三4(一)のとおり説示するところ、原告は、本件審決は、本願発明と引用例記載の発明との間に存するフロントローラの周面を巻回させた篠の空気仮撚ノズルへの導入の仕方の点の相違を看過した結果、相違点(1)に対する判断を誤つた旨主張するので、まず、この点について検討する。
前認定のとおり、本願発明と引用例記載の方法とは、相違点(1)に関して、本願発明が、フロントローラの駆動ローラ周面に巻回した篠を、その糸道方向を屈折させることなく空気仮撚ノズル内に導入しているのに対し、引用例記載の方法は、フロントローラ対の一方のローラ周面に巻回した篠を、その糸道方向を屈折させて空気仮撚ノズル内に導入しているという、フロントローラの周面を巻回させた篠の空気仮撚ノズルへの導入の仕方の点においても相違しているものと認められるところ、本件審決の理由中には、実質的にもこの点を相違点として認定し、判断を加えた形跡は全く認められないから、本件審決は、原告主張のとおり、右相違点を看過したこと明らかである。そして、前認定のとおり、本願発明において、篠の空気仮撚ノズル内への導入に関する右構成は他の構成と相まつて、良好な毛羽立ち繊維を発生させるものであるところ、引用例には、良好な加撚(仮撚り)を得るための手段として、篠の糸道を偏向させるという技術手段、具体的には、仮撚ノズルを傾斜させるか、フロントローラと取り出しロールとの間の連結線に対してずらして配設するか、又は空気仮撚ノズルに偏向機構を設けることによつて、篠をフロントローラに一定角度巻回させ、その糸道方向を更に屈折させて空気仮撚ノズル内に導入するという技術手段、及び右技術手段によつて良好な仮撚りが得られることが開示されているものの、前記相違点、すなわち、篠をフロントローラの「駆動ローラ」に一定角度巻回させること、右巻回した篠を、その糸道方向を屈折させることなく空気仮撚ノズル内に導入するという構成についての記載やこれを示唆する記載はなく、また、右構成を採ることにより毛羽立ち性が良好になるという本願発明の前記作用効果を予測させる手掛りとなる記載は何も認められない。
5 そうであるとすれば、フロントローラから給送されるフリース、すなわち篠が導入される二本の空気仮撚ノズルの各糸道方向を一致させること及び二本の空気仮撚ノズルに互いに逆方向の旋回気流を発生させることが本願発明の特許出願前周知の事項であるからといつて、本願発明の、「牽伸装置の給篠方告に対して、……二本の空気仮撚ノズルの各糸道方向が一致した糸道方向を、牽伸装置のローラ軸に直角な面内において、フロントローラの駆動ローラ側に……傾け」という構成は、引用例記載の方法及び右周知の技術的事項に基づいて容易に推考し得るものと直ちに断ずることはできない。
被告は、この点について、引用例記載の空気紡績方法において、フロントローラから給送された篠の空気仮撚ノズルへの導入に際し、フロントローラから給送される篠を屈曲させず、この給送される篠と同じ糸道方向で空気仮撚ノズルに導入するという周知の技術を適用することは困難ではない旨主張するが、本件審決がフロントローラから給送される篠を屈曲させず、この給送される篠と同じ糸道方向で空気仮撚ノズルに導入するという技術を周知の事実として認定しているわけではないことは、本件審決の理由から明らかであるが、その点は別にしても、引用例には、前認定のとおり、篠をフロントローラの「駆動ローラ」に一定角度巻回させること、右巻回した篠をその糸道方向を屈折させることなく空気仮撚ノズル内に導入すること、更には、右二つの構成が結びつくことにより毛羽立ち繊維が多く発生するという作用効果を奏することを示唆する記載はなく、また、本件審決認定の前記周知事実からもそうした構成及び作用効果を予測することはできないのであるから、本願発明の前記構成は引用例記載の方法及び右周知の技術的事項に基づいて容易に推考し得るものと解することはできず、被告の右主張は、採用することができない。
したがつて、本件審決は、本願発明と引用例記載の方法とが、フロントローラの周面を巻回させた篠の空気仮撚ノズルへの導入の仕方の点でも相違することを看過した結果、相違点(1)の判断を誤つたものというべく、右判断の誤りが本件審決の結論に影響を与えることは明らかである。
三 以上のとおりであるから、本件審決を違法として、その取消しを求める原告の請求は理由があるものということができる。よつて、これを認容することとする。
〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
牽伸装置の給篠方向に対して、逆方向の空気流を発生させ、フロントローラと第一の空気仮撚ノズル間の篠の撚りを制御する二本の空気仮撚ノズルの各糸道方向が一致した糸道方向を、牽伸装置のローラ軸に直角な面内において、フロントローラの駆動ローラ側に〇度乃至一〇度の範囲内に傾けフロントローラから給送される篠に積極的に毛羽を発生させつつ、上記篠が一定角度上記駆動ローラ周面を巻回した後、空気仮撚ノズルへ導入されるようにしたことを特徴とする空気紡績方法。(別紙図面(一)参照)
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
<省略>
(以下省略)